今日、毎日の家事負担によるストレスが増えているとテレビで観ました。
ストレスを発散するような時間が持てない人も居ますよね。
家事がストレスになってしまう前に、日常のこまごまも億劫にならずに済むことのお役にたてれば、幸いです。
日本、インド、中国などでは森羅万象すべてはひとつで、
人間もその一部にすぎないという物心一元論的な考え方がありました。
最近では脳科学の世界でも、この一元論が主流となりつつあって
東洋思想に傾倒している研究者も多くなってきているそうです。
西洋にもヒポクラテスさんの時代からあったそうですが、
17世紀に入って物体と精神を切り離した二元論へ移り変わっていきました。
「体は疲れているけれど心は元気」
「身も心も燃え尽きた」
「やる気はあんだが体がついていかね、てやんでぃ。」
と、どうしても私たちの中には心とからだの分離感が根強く残っています。
それは、とても仕方のないことです。
もう一度、こころとからだが融合するために
私の場合、ヨガが大きな助けとなってくれました。
そして、原典を辿って行くうちに、惰性的で退屈にみえる
日常のすべての瞬間にチャンスがあることを知りました。
禅寺では「一時に、ひとつのことを」と説くそうです。
たとえば
お皿を洗っているとしたら、意識をもっぱらにして洗います。
流れていく水。切れていく泡。
ニュースの音が飛び込んできて、気になってしまってもかまいません。
気がすんだら、またお皿に戻ります。
そんな風に一瞬一瞬を観つめつづけると
心とからだがひとつになってきて
本来の感覚を呼び起こし
常に「気づいている」状態になります。
脳からはセロトニンも出てきて
マインドもなんだかジョイフルになってきます。
そして
家事がひと通り終わった時、あまり疲れを感じていないことに気づくかもしれません。
革道のじかん。華道や主婦道のじかん。
それ以外にも、つなぎなおせる瞬間が暮らしの中にはいっぱいです。
長い行列に並んでいるとき。
渋滞にはまっているとき。
退屈な待ち時間は呼吸を正すチャンスです。
工場での単調な作業が
ヒマラヤ聖者への道と似ているなんて信じられるでしょうか?
毎日毎日、窓拭きをしているうちに
カンフーの達人になってしまうように。
気をそらそうと思考や身体的な症状が去来するかもしれませんが
蹴散らす必要はありません。
それらは深奥の声を教えてくれる恩師。
「道」は、きっとそう思わせてくれます。
私もまだまだ修行が足りなくて。
観ることをやめ、道をそれてしまう時があります。
そしてスープを吹きこぼす結果に・・・
専門的なことを割愛して
簡単な説明になりました。
皆さんの暮らしに
たくさんのジョイとあたたかなスープが降りますように…
降るのはまずいですね。
アタチ気づいているの。
出店先で行きずりの犬たちと浮気していること。
の目